前回、
2次元恋愛と3次元恋愛の 
二元論
を紹介した。 

で、

2次元は3次元を
代替し得るのか?

アナログは非効率な
過去の遺物なのだろうか?

こんな問いを立ててしまうと、

「そんなの人それぞれ」
「バランスが大切」

という毒にも薬にもならない
結論になってしまうに
決まっている。

そうはならないように、
最終的に
このブログの読者が

どういう恋愛スタイルを選ぶか?
を決める役に立つように、
議論を進めたい。

そのためには、
まずはお互いの考え方を
一定に理解すべきであろう。

今日は2次元側を
紹介する。

久々に本棚から、
この本を引っ張り出した。

電波男 (講談社文庫)
電波男 (講談社文庫) [文庫]

帯には、

負け犬女は萌えないゴミ!m9(^Д^)プギャーーーッ!!
もはや現実の女に用はない。
真実の愛を求め、俺たちは二次元に旅立った。

と過激な文言が並ぶ。

いくつか関係ある部分の主張
を紹介する。

まず、同書で著者は、

ニーチェが「神は死んだ」
と言って以降、
恋愛が神の代替となった

という。

つまり、男女が互いを神として崇拝し、
互いの自我の安定を保証してもらう
相互扶助システムであると。

日本では明治時代に恋愛が
輸入されたが、
当時は「家」制度があったので
なかなか根付かなかったとされている。

戦後、「家」制度が弱まり、
恋愛結婚という概念が生まれたことで、
この恋愛システムを阻むものは
なくなったと。

それから、
大量消費社会がやってきて、

トレンディドラマなどを例に、
メディアや広告によって、

消費を喚起するツールとして
「恋愛」は利用されたとされている。

つまり、男は女子のために
お金を使えばモテる!
食事や旅行などに金を使え!

と、こういうわけだ。

同書中ではこのシステムを
「恋愛資本主義」と読んでいる。

相互扶助システムとしての恋愛や
消費喚起ツールとしての恋愛は、

今読み返しても、
なるほどと納得してもらう。

でも問題はここからだ。

まず、
著者のそれに対する処方箋が、
2次元を愛すことなのだが、
これは万人向けの処方箋でない。

恋愛資本主義のもとで、
貧富の差が拡大しており、

持たざる者にとっては、
努力は報われない、

だから3次元に拘る必要はない、
という理屈であり

昨日の記事でも見たものだ。

でも私にはそんなにハッキリ
2極化しているようには
思えないのだが。

もしこの理屈が本当なら、
男子たちは自分が
持つものか持たざる者かを判断して、
どっちかのコースに進めばいい。

でも、実際は、日本の家計と同じで、
1億総中流とか総中の下な
んじゃないの?

(これって、持たざることを
認めたくないからなのか?
そう信じたいだけ?)

それから、
後半のデジタルとアナログの
比較において、

ルサンチマンに従って
ではあるけれど

著者はもちろん
3次元=アナログ
をバッサリいっている。

キャバクラは宝くじ、彼女はリース、風俗はレンタル、結婚は長期ローン
アナログからデジタルに移行するのは歴史の必然

デジタルならスペックは自由自在、しかも地球に優しい

これらのアイロニーは
読み物としては、
相当面白い。

でも、
劣化しないデジタル万歳!

批判しているやつは
CDが登場した時の
レコード信者のようなもの


とまで言われると、

果たしてアンチテーゼに
留まっていて良いのか?と思う。

特に、
もし2極化していないとしたら、
これは多くの男子(男女)に関わる
問題であるから、

一部の特殊な人間にのみ通用する
恋愛観、では片づけられなくなる。

ITを活用するにしても
今どきは多対多の双方向通信を
前提とした設計にすべきだし、

『AKB』や『ニコニコ超会議』をはじめ
ネットとリアルの連動
重要性は増している。

同書は2005年発行だから、
そう考えるととにかく凄い!けれど、
 
それから10年近く経っているのだ。
我々、
2次元恋愛を提唱する者たちは、

そろそろ次の理論を
生み出すべき時に
来ているように思う。

つ づ く




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