さて、
ニュースを一本挟んでしまったが、

恋愛はデジタル化できるのか?
について

独り言を続けたい。

ここからは(ここからも?)
私見になるが、

種の存続を除く部分、 
即ち、生きがいに関わる部分
については、

人によっては恋愛以外のもので
代替可能、
というのが
私の結論である。

怒らないで言い訳を聞いてほしい。

(あと、その「恋愛以外のもの」
がデジタル化できるのか?は、
多分、明日以降に論じる)

 ★ ★ ★

恋愛により得られる
生きがいには、

主に
利他・(被)肯定・連続
の3つの要素があるように思う。

一つ目は、
他者のために生きること。

いくらB型であっても、
人は自分のためだけには
生きられない。
 
これは真理だと思っている。

つまり、究極的には
自分のためでも 、

自分のために、
他者のために生きる必要がある。 

その、最も身近な存在が
恋人である。

だが、必ずしも恋人である 
必要はない。

例えば、
東京生まれヒップホップ育ちの人
(例えが古すぎて申し訳おまへん)
が、

東京都民のために
一生を捧げても良いわけだし、

ヒップホップを愛する
全ての他者のために
生きても良い。

ただ、私心を排して
悠久の大義に生きることは、
そう簡単なことではない。

普通は報われなきゃ、
やんなっちゃう。

「私ばっかり尽くして、

わたし、かわいそう!(涙)」

という例のアレだ。

「私のことは嫌いでも・・・」

なんて中々言えるもんじゃない。

だから、恋人という、
簡単な共同体をつくる慣習
があるのだろう。

お前の愛は、おれのもの。
おれの愛は、お前のもの。

というような交換条件だ。

「も、もしも体育の時間に
ペアをつくれってなったら、
俺たちで組もうぜ
(ボッチは恥ずかしいからな)」

的なアレだ。

言い過ぎたかもしれない。

でも、とにかく、

お互いがお互いの
ために生きれば、
お互いのために良いんじゃね?

的な都合から生まれたものだと
思うのであった。

 ★ ★ ★

2つ目は、
他者から自分の存在を
肯定される
ことだ。

そうそう、
「私のどこが好き?」
というアレだ。

結果として他者に貢献
しているということは、

もちろん
存在を肯定されている
ということでもあるのだけれど

B型でなくともそこは
自分というものを
理解してもらった上で
役に立てて欲しいものだ。

これも人によっては
恋人以外からでも
受け容れてもらうことは可能だ。

会ったこともない人から、
○○さんの○○なところが好きだ
と言ってもらえる可能性は
全くナシではない。

自分が何者かを
きちんと伝えることができれば
という条件つきだが。

 ★ ★ ★

3点目は、
私たちに内在する、

他者というか、
世界と連続性を持ちたい
という欲求である。

これも、社会に貢献して
他者から肯定されていれば、
非連続でないのは明らか
であるが、

時間ですら非連続だと言われる
量子論の現代では、
それでは安心できない。

「風が吹けば桶屋が・・・」
みたいなバタフライエフェクト
では寂しくてたまらない。

もっと「繋がっている」感が欲しい。

つまり、

好きだよ、って言ったら
好きだよ、って返してほしい。

言わせんな、恥ずかしい。

・・・・・・。

「好き」だと恥ずかしいけど、
「おはよう」の接続であれば
相手が恋人でなくとも
十分に実現可能だ。

つまり、程度によっては、
恋愛以外のもので
代替可能である

 ★ ★ ★

そんなわけで、

人によっては、
条件によっては、
程度によっては、

恋愛は、
恋愛以外の方法により、
代替可能である。

しかし、
ハードルは高い。

でも、ここで気になることが。

恋愛って、
独りで生きられない者が
仕方なくするものなのか?

もっとこう、
無条件に行うものなのでは
ないのか?

そこで、いよいよ
みんなお待ちかねの
無償の愛
へと話を移そう。

・・・・・・・

話が重すぎるのと、
誰も待ってないかもしれないこと
を勘案し、

つ づ く


http://matome.naver.jp/odai/2134591269077742301/2134614648995940003

犬を飼うのなんかはどうだろうか?