結構前に、「つづく」
とか言っておきながら、

続きを書いてなかったことを
思い出した。 

これまでのあらすじ:

・アキバには、二次vs三次という構図がある

・場合によっては、恋愛は他のもので代替可能

・究極的には、自分のための恋愛なのだから

・でも、自分のための愛だなんて、おかしいよ?愛は無償でしょ? ←イマココ 


というところだったと思う。

というわけで、
今日は恋愛独り言のつづきを。

 ★ ★ ★

無償の愛というのは難しい。

「恋愛がなかったら生きられない」
とか言ってる人たちは

恋人がダンプカーに
撥ねられそうになっていたら、

突き飛ばして自分が
身代わりになったりするのだろうか?

相手が不治の病にかかったら、
「私がなれば良かったのに」とか
本気で思うのだろうか?


思わないんだとしたら、

所詮、
自分の精神的な健康維持
のための活動ではないか!
と言ったら
やっぱり怒られるのだろうか?

実は、個人的には
身代わりになったところで
それすら自分のためでは?
と思っているので

左記の質問の答えがどうであろうと
私の結論は変わらなかったりする。

ただ、この場合の自分のため
というのは別に
自己の利益を追求するような
類のものではない。

最期まで自分らしくあるために、
命よりも大切なもののために
命を捨ててまで守りたい一貫性が
あるだろうと思うのだ。

その一貫性は、
自分という存在の連続性であり、
自分と世界の連続性でもある。

これだけ自分自分言っていると
この自分大好きB型豚野郎!
とお叱りを受けるかもしれない。

でも私は
カントの道徳律のような、
無条件な行為があるという
考え方にはどうしてもなじめない。

本当に本当に
純粋無垢な透明な
無償の愛なんてあるのだろうか?

 ★ ★ ★

ところで、私にとって、
無償の愛と聞いて、
一番イメージしやすいのは
家族愛だ。


前回の記事を書いた時だったか

「精神的安定には
家族が一番。

でもそれが
永遠ではないから、

恋愛というのは、
次の代の自分の家族を
つくろうとするものなのかも」

という意見をもらった。


確かに、
自分が将来、我が子のために
命を削ることは十分に考えられるし、

それすら
自分(らしさ)のためなのか?

と問われると、答えに窮する。


それは自分らしさというよりも
「この世」らしさと呼んだ方がいい
くらい自然なことだ。



親子の絆は強い。


それは、親子というものが

自分が生まれる前から
決まっていた関係性


だ(と思える)からだと思う。


血のつながりというものは、

人間如きが
どんなにあがいたところで
覆らない安心感

がある。


だとすると次の問いは
決まっている。


斯様な安心感に基づく
強固な絆は、

血の繋がり無しでも
成り立つのだろうか?

と。


つ づ く



もう子どもの頃ほど済んだ心じゃないかもしれない。
けど、我々人類が進化の過程で失ったものがあるとも思えない。

http://animalove.info/node/18